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メゾン鴻乃巣

                                                                                                     福嶋朝治

 「鴻の巣特有のカクテルやポンチを召し上りながら二階の窓から江戸橋や
方を眺めになりますならば、私共が常にれてゐる江戸の面影が目の前

うつりませう.]

  これは鴻の巣が雑誌『スバル』に載せた広告の一節である。

「メゾン鴻乃巣」がフランス料理と洋酒を提供する店として、ここ日本橋小網町

の河岸に店開きしたのは、明治43年の夏のことである。

 翌年には銀座に画家松山省三が経営する「カフェー・プランタン」や「カフェ

ー・パウリスタ「カフェー・ライオン」が次々と開店し、欧風文化の花を咲かせ

た。「メゾン鴻乃巣」もその流行の波に乗ったわけだ。

 開店するやたちまち若い文学者や芸術家のサロンに利用され、多くの文人が訪

れるようになった。とりわけ贔屓にしたのは木下杢太郎である。

  

冬の夜の静けさに

  褐く澄む該里の酒。

  


編集発行  ディオの会 (代表福嶋朝治)

山梨県北杜市小淵沢町2957-1 

電話0551-36-6052

電子メール kizansou@mx3.nns.ne.jp

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さう言ふは呂昇の声か、

  乃至その酒の仕業か。

  幕あけて窓から見れば、

  星の夜の小網町河岸

  舟一つ…かろき水音。

 

 杢太郎が酔興に店主にささげた「該里酒」と題する詩の一節である。彼は青年

文学者芸術家の談話会として「パンの会」を明治41年の暮に西洋料理店の三州

屋で立ち上げたが、その後、会のメンバーは「メゾン鴻乃巣」に集まるようにな

り、歓談酔語に夜を徹した。谷崎潤一郎一郎と吉井勇は洲崎に遊びに行った帰り

に酔いつぶれて一晩を過ごしたこともあったという。

 店の2階からの眺めは、広告に謳ってあるように、眺望絶佳、目を巡らせば右

から箱崎橋、荒布橋、江戸橋、鎧橋が見渡され、さながら橋に囲まれた大きな池

のような趣があったであろう。およそ現状からは想像もできないほどの風光であ

った。夜ともなれば水面に街灯の輝きが映じてもいたであろう。明治の文明を目

の当たりにしつつも、彼らの心は洋酒と江戸情緒に酔いしれる。それはまさに耽

美派の異国趣味と懐古趣味を満喫するのにうってつけの場所であった。北原白

は「屋根の風見」という詩で、夕日を浴びた店の様子をこう詠んでいる。

  

「鴻の巣」の窓に、

  硝子が光る。

  露西亜のサモワル、紅茶の湯気に、

  かっかと光る。

 

  ところでこの店のオーナーはどのような人物

だったのだろうか。日ごろ気になっていたこと

だが、つい最近『大正文士のサロンを作った男 

奥田駒蔵メイゾン鴻乃巣』という労作のおか

げで、つまびらかに知ることができた。それに

よれば駒蔵は京都出身で横浜のホテルで修業し

た後、渡欧。28歳で念願の料理店を創業。店

名の「鴻の巣」は郷里の鴻の巣山にちなんもの

である。

  この本の筆者は駒蔵の孫恵二の妻、奥田万里さんである。出版社は幻戯書房。本体2000円。

 

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「トマトって、また、生えてくるの?」

 

 農業のことは、素人が何かいうのは気が引ける思いがします。昭和・平成のバブ

ル期に首都圏の農地が低未利用地とみなされたこととか、戦後の一辺倒な農地改革

とか、寛政の改革の旧里帰農令とか、まず、大変なことが浮かんできます。今日の

JA改革なども、とても難しそうです。

 「都市農業振興基本法」というのは、今年、成立してから知って、とうとうそう

いうものができたのか、という感慨を持ちました。近隣には、確かに生産緑地が青

々と広がっているところがあります。

 農林水産省のサイトを見ますと、都市農業というのは、多面的な機能を果たし

きたということが説かれています。それは、景観創出、交流創出、食育・教育

地産地消、環境保全、防災の六つの機能だそうで、「市民農園はじめませんか

という呼びかけもあります。

それは当然そうだ、という思いがいたします。しかも農業によるこれらの機能は

、都市部だけではなく、そもそも近郊や山郷どこででも発揮されるものではない

のでしょうか。副業や趣味としても優れた活動と言えます。ただ、耕す人がいな

いので、農地が樹木を植えた林野にもどされている例も、地域によってはあると

聞いたことがあります。

  個人的なことですが、筆者の育った田舎街の家には花畑も菜園もありました。

ころが、庭作りや菜園は、年配者の趣味であり、若い者は、違うことを目指す

うがいい、というような風潮があった時代でした。

ある夏、家族に聞いた覚えがあります。「トマトって、去年のところから、生え

てくるの?」

 つまり、家庭菜園では、トマトは苗から育てるということを成人しても知らな

ったのです。多年生の花や、地下茎で年を越す山菜があるという知識はありまし

た。ですが、毎年、自宅の畑で収穫している野菜の栽培については、何も知りま

せんでした。

 最近、シェア農園で、お子さん連れでいらっしゃる方々を見ますと、ほっとしま

す。一緒になって、初めての畝作りなどを教わります。帰農というようなことは、

時流で言われることがあります。ですが、食は、万人の問題であり、菜食の効能に

は定評があります。自分なりの帰農ができるような体験学習を、誰でもができたら

いいのではないのかなあ、と思うこのごろです。(な)

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菜園のすすめ

 

 野菜作りを始めてから15年経つ。標高1000メートルの里山に移住して、

庭先で葉物を栽培していたら、近くのペンションのオーナーが見かねて、耕し

手のない畑を斡旋してくれた。広さは150坪。畑の管理をしてくれるだけで

助かるとただで貸してくれた。市街が近いのでシカやサル、イノシシなどの

害はない。また用水路が道路の反対側を流れているので水遣りは楽である

 ただ西風が強いので、フレーの覆いのビニールが飛ばされたり、トウモロ

コシがなぎ倒されたりするのが点だ。

それと寒冷地で種まきなどの時期に余裕がない。適期を逃すと十分ない。

ゴールデンウイークは遊んではいられないのだ。

畑は3等分して連作被害を防ぐために毎年使いまわ

しをする。育てている野菜は夏が30種類ほど、秋

野菜が10種類ほどだ。近年デパートなどにも見か

けるようになったルバーブは茎をジャムにする。酸

があって梅のジャムのようだ。今年はいちごが1

5キロほど採れてこれもジャムにした。じゃがいも

、かぼちゃ、玉ねぎは床下に保存、大根白菜は庭

穴を掘って貯蔵。トウモロコシや枝豆は茹でて冷蔵

する。 

農作業で大変なのは耕地と除草である。耕す道具は三本鍬である。平鍬で畝を

立て、立ち鎌でならす。またこれで草を取る。電動道具は使わない。土の感触

を大事にしたいためでもあるし、体力を消耗し糖尿病対策にもなるからである

。そのかわり、3,4日はかかる大仕事である。最初は妻も手伝ったが、最近は「

大変だ。疲れた。」というと、手伝うという代わりに「止めたら」という返事

が返ってくる。別荘の人が畑を少し借りて菜園を試みるが、やがてやめてしま

うのは除草が大変だからである。草は大げさに言えば取った後からすぐに生え

てくる。主にスベリヒユやアカザである。農家の畑が隣接しているがそこには

生えない。どうも不思議だ。



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菜園の効用はなんだろう。実益面からいえば、それこそ安心安全、新鮮な野菜

を食べられるということに尽きる。一例をあげれば、」農家の畑でキャベツが

農薬で真っ白になっているのを目撃したことがある。食べられたものではない

。農薬を使わないといろいろな虫がつく。たとえはキャベツの青虫、これは見

つけ次第捕えて、埋める。ジャガイモのテントウムシだましもいちいち捉えて

埋める。

手間はかかるが、まだ青いうちに出荷するトマトは、店頭で赤くはなるが味も

そっけもない。完熟トマトは少年時代の夏休みに川遊びから帰ってしゃぶりつ

いた味を思い出させてくれる。郷愁にいざなう味だ。

年間の経費はもろもろ5万円足らずである。大根100本、白菜50個、ジャガイモ

100キロでほぼ元が取れる。食費に寄与する事絶大である。

キケロが最晩年に書いた『老年について』の中で、老年の快楽について述べて

いるが、最大の快楽は農業だとして、岩波文庫で10ページにわたって縷々説

いている。その一節にいう。

「大地は決して出費を拒まないし、受けとったものを利息なしで返すことも絶

えてない。小さい場合もままあるが、大抵は大きな利子をつけて返してくれる

のだ。」そのうえ「大地そのものの力や本性もわしを楽しませる。」と農業の

ありがたみを絶賛している。およそ2000年前のことだ。

また、園芸は安上がりな健康法である。一日にわずか5分程度鍬で耕す作業を1

か月続けたら、背筋力が50パーセント上昇したという報告がある。

次に精神面では、園芸は情緒を安定させ、穏やかにする効果をもっている。カ

ッコウや鶯の声を聴き、甲斐駒ケ岳の残雪を仰ぎ、八ヶ岳の上空に広がる深い

紺色の空を眺め、遠く富士の秀麗を望むとき、なんともいえない安らぎを覚え

る。

このような情緒の動きは、生理反応にも影響し、血圧降下、筋肉弛緩、アルフ

ァ脳波の増幅現象、心拍数の変化などが期待されている。こうした効果から最

近は「園芸療法」が注目され始めた。日本でも「日本園芸療法普及協会」が

2009年設立され、園芸療法の実践者の育成に力を入れている。

人間は作る動物である。野菜の種をまき、生育を見守り、手を貸し、実るまで

長い時間と労力が求められる。それだけに作る喜びも大きい。きわめて人間的

に有意義な活動といえるだろう。

日本の園芸人口は、イギリスに比べてかなり低いという。家庭菜園に挑戦して

みてはどうだろうか。(T・M)

参考文献 『園芸療法』増補版 グロッセ世津子編著 日本地域研究所 2002 年刊 


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私の戦争体験

松崎 茂

 

 終戦の時に私は6歳でしたので、戦争の怖さはほとんど体験しておりません

一年生になったばかりの私たちに担任の女性教師は、「皆さんは天皇の赤子です

から、天皇のために死ぬ覚悟をしなければなりません」としばしば語っていまし

た。繰り返し聞かされているうちに、反発することもなくその通り受け止めてい

ました。

 子供たちは勇ましい軍歌を覚えて、よく歌いました。「加藤隼戦闘隊」「軍艦

行進曲」「予科練」の歌などは今でも最初の歌詞は覚えています。野外で年上の

少年と遊びながらこのような歌を覚えていきました。このような歌は戦意を鼓舞

しても、戦争の悲惨さを連想させることはありませんでした。

 私たちの小学校には多数の兵士が寝泊りして、校庭で軍事訓練がされていまし

た。竹で作った戦車に似たものが移動すると、それに爆弾と思しきものを持った

兵士が攻撃する訓練が繰り返されていたのが印象的でした。これは戦車に地雷を

持って飛び込み、爆破するための訓練だったそうです。

 兵士は軍事訓練だけでなく、暗記も強要されていました。歴代天皇の名前、軍

人勅諭、モールス信号などを覚えなければなりませんでした。兵隊が行軍しなが

ら、イトー、ロジョー、ホーコク、ハーモニカなどと口をそろえて唱えていまし

た。最初は何を意味するのかわかりませんでしたが、これはモールス信号を覚え

るためのものであったと、後になって知りました。

 兵士はいつも腹を空かしていたためだったと思われますが、小学生にお金を渡

して「農家からトマトでもキュウリでもナスいいから買って来てくれないか」と

頼んでいました。なお、農家では野外訓練に来た兵隊に作物が荒らされて困ると

、陰で苦情を言っていました。

 父親は農家の長男であるのと、身体的に貧弱だったためか召集されませんでし

た。しかし、軍需品の製造で戦争に協力していました。父は機械に詳しく、家の

一画に機械のネジを製造する設備を備えました。軍部からの依頼があったと思わ

れますが、
56人の近所の若い女性を使ってネジを専門に作っていました。これ

は何かの兵器の部品となったのでしょうが、子供には知らせてくれませんでした

。子供たちには鉄を含むものをなんでも良いから集めるように命じられましたが

、ほとんどの鉄製品が供出させられていましたので野外では見つける
ことはできま


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せんでした。終いには、ガラスの破片まで集めるように言われました。なお敗戦

間際には父を初めとして、女性までもが竹槍の訓練をさせられました。

 米軍の空襲がある時には、錫箔が空から降って来ました。子供たちは珍しがっ

て集めていましたが、これはレーダーを攪乱するためのものであったと知らされ

ました。降伏を勧めるビラも蒔かれたようですが、憲兵や警察がやって来て「読

んではいけない」と言って持ち去ったそうです。

 86日には新型爆弾が広島に落とされて、多数の死者が出たと伝えられました

9日には長崎でも大量の死者が出たと知り、自分は死の恐怖を感じ夜寝るのが怖

いと感じました。母親は「皆一緒に死ぬのだから恐ろしいことはない」と諦めて

いたのか、楽観的なことを言っていました。

 農家の男性はほとんどが徴兵されたので、女性だけでは農業をすることができ

ませんでした。そのため、当時は農作業を手伝う大学生が動員されていました。

東京から来た大学生は、稲を見て「これが米のなる木なのか、今まで知らなかっ

たなあ」と感心していました。815日に玉音放送が流された時には、大学生たち

はすぐに戦争に負けたのだと知り大騒ぎしていたことを覚えています。

 終戦後の数年は戦時中よりもむしろ、食糧難で苦しい思いをしました。実家に

は祖父母と両親それに9人子供の計13人で住んでいましたので、農家でありながら

食べる物には苦労しました。米も取れましたが、農家には米の供出が割当られて

いましたので、米は到底足りませんでした。

副食としてはサツマイモを最も多く食べましたが、ムギ、サトイモ、ソバ、ダ

イコン、トウモロコシなども食べました。ご飯にはオオムギだけでなく、サツ

マイモも米と一緒に炊いて食べました。オキリコミは毎晩のように食べました

が、時にはスイトンやソバも作られました。アワやコーリャンは食べませんで

したが、キビは蒸かし饅頭にして食べたことがありました。それでも都会の人

々よりも恵まれていたと思います。

 現在は戦中戦後の苦しかった体験は忘れ去られようとしています。若い人々は

そのような経験を話して聞かせても、信じられないと言います。我々の世代より

上の人々は、物を大事にすること特に食べ物を無駄にしないことは身に滲みて感

じています。何よりも、平和であることの大切なことを身を以って体験していま

す。


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企画名

期間(原則月休館)

料金

開催館

陸奥A子×少女ふろく展~DOKIDOKI『りぼん』おとめチック❤ワールド

10/1(木)~

12/25(金)

一般900

高・大800

小・中400

弥生美術館

文京区弥生243

Tel 03-3812-0012

竹久夢二とアール・ヌーヴー~明治・大正の日常を彩った図案と装飾

同上

(夢二美術館と共通)

竹久夢二美術館

文京区弥生242

Tel 03-5689-0462

幕末明治の浮世絵探訪―歴史絵から開化絵まで

10/9(金)~

11/29(日)

一般500

65歳以上・小以上250円 

八王子市夢美術館

八王子市八日町8-1

ビュウータワー八王子2

Tel 042-621-6777

柳田國男展

日本人を戦慄せしめよ―「遠野物語」から「海上の道」まで

10/3(土)~

11/23(祝)

一般600

65歳以上・20歳未満・学生300

神奈川近代文学館

横浜市中区山手町110

Tel 045-622-6666

詩人・大岡信展(仮称)

10/10(土)~

12/6(日)

一般800

65歳以上・高大600

世田谷文学館

世田谷区南烏山1-10-10

Tel 03-5374-9111 

「雲母」創刊100年記念          俳句百景 季節を生きる喜び 

11/23(月・祝)まで

一般600

大学生400

山梨県立文学館

甲府市貢川1-5-35

Tel 055-235-8080

史実と創造

―有三が描いた歴史

2016/3/6(日)まで

一般300

三鷹市山本有三記念館

三鷹市下連雀2-12-27

Tel 0422-42-6232

村上鬼城生誕150

記念展 『ホトトギス』と村上鬼城の世界

10/3(土)~

12/13(日)

一般410円

高・大200円

土屋文明記念文学館

高崎市保渡田2000

Tel 027-373-7721

鎌倉文士前夜とその時代

 

10/7(水)~

12/13(日)

一般400円

小・中100円

鎌倉文学館

鎌倉市長谷1-5-3

Tel 0467-23-3911

僕の小美術館

―実篤コレクション名品展

10/18(日)まで

一般200

小・中100

武者小路実篤記念館

調布市若葉町1-8-30

Tel 03-3326-0648