三鷹の露風

1.三鷹での暮らしの様子
昭和12年2月9日の朝日新聞(夕刊)に、「郊外に卜居して 懐かしい修道院生活を想ふ 三木露風氏の生活」というインタビュー記事が掲載されている。その中の一節「庭に四阿のある小さな家、門前の小川には清澄な水がよどみなく流れてゐる。田畑の間に点在する疎林はこの詩人に好ましい環境なのだらう。このひそかな家の主も既に四十九歳、一つ年下の道子夫人と二人きりの静かな暮しだ。」「友達も来ることもなく訪ねてゆくこともなく時々東京まで散歩をする位なもの、新宿でなにか食べるのが私の唯一の楽しみです。」この時、一番好きな詩を聞かれて、「静かなる夕聖者の死を懐ふ」をあげた。」

2.三鷹市のイベントについての検索は、三鷹市→文化財団。三鷹市の文学散歩については、三鷹    市→訪問者向け→文学散歩。

3.三鷹市から刊行された三木露風関係の冊子の紹介
『三木露風展─「赤とんぼ」のうた─』 三鷹市文化振興事業団 1990年
『実篤・有三・露風展─文人たちの美術観』 三鷹市文化振興事業団 1991年
『三木露風展』─詩と宗教─ 吉田煕生監修 三鷹市芸術文化振興財団 1998年
『山本有三・三木露風展─「田園」に「未来」をたくして─』 福嶋朝治監修 三鷹市山本有三記念館編
2003年 三鷹市芸術文化振興財団
『大正・昭和の”童心”と山本有三』  三鷹市山本有三記念館編 笠間書房刊 2005年 1400円
「三木露風の童謡観─初期童謡を中心にして─」(福嶋朝治)所収
『山本有三と三鷹の家と郊外生活』 三鷹市山本有三記念館編 はる書房刊 2006年 700円
「三木露風─有隣園・遠霞荘随想」(福嶋朝治)

4.露風散歩道案内

  

 吉祥寺駅から井の頭公園への道を辿ります。池をめぐるように弁天様まで歩いたら、玉川上水沿いの散歩道を歩きましょう。水底までは意外に深く、増水していたら太宰のようになってしまいます。
 幸橋の左を少し進んだ左側に武者小路実篤が1937年から1940年まで住んだ家がある。彼の娘はここから明星学園に通った。
 新橋を渡ってすぐの明星学園の東側の道を歩いて四つ角まで行く。そこを右折すると高い松が眼に入る。露風の旧居である。露風の奥さんが板橋家の縁者で、昭和3年に土地を譲ってもらい新築した。そのころはあたり一面田んぼや畑であった。露風の家の前には用水が流れていた。
 白秋の息子の隆太郎は、明星学園に通っていたので、この畑中の一軒家はよく覚えている。
 蓮雀通りの山中前に出たら左折しよう。高山小学校は露風が校歌を作った学校。何かと縁が深い。板橋家は現在、(株)赤とんぼを経営している。広い敷地は現在、ドラッグストアなどになっている。その一隅に「喫茶・軽食 赤とんぼ」がある。ちょうどのどが渇いておなかが空いたころだ。一休み。
 板橋家は土地の名家で、篤農家であった。神明神社の巳待講の石塔の寄進者にも名があり、整備にも尽力している。家の前には露風がよく散歩していた昭和30年代頃は、キャベツなどの野菜が栽培され、秋には黄金色に稲穂が揺れていた。今は住宅地になったけれど、風景をバックさせて自分を畑中の道を歩く姿に変身してみよう。人見街道に近づくと商店が並び、火の見櫓のある辻は間近。辻を突き抜けると大盛寺別院。しかし、露風の墓はその先の右手にある新墓地。なお、大盛寺は、井の頭公園にある、間違えないように。
 露風がよく使った郵便局が近くにある。このあたりは露風の生活の用事をかねた散歩のルート。四つ角を右折して役場に行ったり、左折して三鷹台駅に行ったりした。未舗装の道で雨の日はぬかるんで大変だった。
 神明神社にお参りしたら、玉川上水の散歩道をゆっくり散歩して、元に戻ろう。2時間くらいの行程だ。
 なお、『山本有三と三鷹の家と郊外生活』(はる書房刊 700円+税)では、有三以外に実篤、雨情、夢二、露風、中也、太宰、などの郊外生活を掲載している。一読してから散歩に出かけると、一層興味がわくだろう。

 

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