展 示 室

童謡「赤とんぼ」の自作解説
従来、露風自身によって、「赤とんぼ」の成立事情が公にされたのは、昭和34年7月15日の「森林商報新69号」(愛知県一宮市繊維商社、森林ーもりりんー株式会社発行)においてであるということになっていた。この資料については、平成2年に、「童謡『赤とんぼ』」という家森長治郎先生の論文が詳しく紹介している。事の発端は朝日新聞の「天声人語」(平成元年10月29日)で「赤とんぼ」が取り上げられたことにある。→この記事の読者枝重夫氏(日本蜻蛉学会事務局長 松本歯科大学教授)が森林詳報のコピーを朝日に送る→朝日から家森氏に送る→家森氏が「霞城館だより」(平成)2年7月15日に発表。これが今までの定説になっている。『三木露風 赤とんぼの情景』の和田典子先生もこの説を踏襲している。
実は、露風の日記帖(未発表 三鷹市所蔵)の昭和34年5月25日の条に「『赤とんぼ』に就て」という記事がある。そこには「初山しげるの挿絵を使いたいが心当たりがあったら教えてほしい」という森林からの依頼があった旨記されている。興味深く参考になるのは、それに合わせてつづられている赤とんぼの自作解説である。
その要点を箇条書きしてみる。@作詩は大正10年7月 A発表はその翌月の『樫の実』 B実際に止まっている蜻蛉を見て作った C小さいとき生家で雇われていた子守娘の背中から飛んでいる赤とんぼを見たのを思い出して書いた D蜻蛉を凝視するとともに、歌い上げる心で書いた Eはじめは赤蜻蛉と漢字表記、後に分かりやすくするために「赤とんぼ」とした。以上である。

    
ところでこのほど「増殖する赤とんぼ」という論文を書くに当って、童謡の本を読み漁っていたら、眼からうろこの記事が飛び込んできた。
「世に知られるずっと前、議論がわき起こるおよそ4半世紀前に当の三木露風自身が」「『赤とんぼ』の思い出」(日本童謡全集1 日本蓄音器商会 昭和12年)を書いていたというのだ。
早速、調べてみたらそこには、「姐やとあるのは、子守娘のことである。私の子守娘が、私を背に負ふて広場で遊んでゐた。その時、私が背の上で見たのが赤とんぼである」と明記した上で、「作った時の気持ち(懐旧の情)と」「幼い時にあったことを童謡に表現した」と述べている。
そして、子供に聞かせる時には、各節について言葉をいちいち説明してやることを要望している。
 


               

戻る