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15,6歳の少年は、まさに思春期。露風は前年学業不振で落第になりそうになり、岡山の閑谷にある池田藩の中学に転校させられる。農家の離れに下宿して通学したり、岡山の『白虹』の同人に参加して、活発な文学活動を行う。また、東京の『文庫』にも熱心に投稿する。
最初の2首は岡山時代、あとは東京時代の作。上京当時は尾上柴舟主宰の「車前草社」に参加して、『新声』に短歌を発表した。まだ歌人の時代である。第2首、露風がまだ幼稚園に通っていた明治28年の春、園から帰宅したら、家は閉められてしまっていた。母は弟を連れて、鳥取の堀家に帰ってしまったのだ。幼い露風に親の離婚という事態は、理解を超えた。また帰ってくると思うのは、当然だろう。
第3首、母はこのころ、新聞記者の夫の勤務先の小樽にいた。露風と母との間に文通が時々あった。母からの巻紙の手紙を抱きしめて慟哭したこともあるという。母は熱心なクリスチャンであった。第8首には、「神よ母よ」と、自分の苦渋に満ちた東京生活への慰めを切々と訴えている。
「戸に立ちて」には、「我が母を思ひて出た歌 即ち東京に居るお母様を思出したる歌なり」という詞書があり、「声あげて」には、「東京に居ます母を呼んでも何の返事もなし 哀れ母は今いかにしてけむ思へば哀れなりけり」という詞書が添えられている。『低唱』は明治38年、一緒に閑谷黌で学んでいた竹馬の友脇坂裕之進のために、短歌、俳句、詩を毛筆でしたためた作品集である。
再婚した母が、夫の転勤で上京したのは、明治41年3月(家森)または、42年(安部)というから、この歌を読んだ時はまだ、上京していなかったはずだから、おかしい。
2. 童謡『赤とんぼ』の推敲
(1)赤蜻蛉 (2)赤蜻蛉 (3)赤とんぼ
夕焼、小焼の 夕焼、小焼の 夕焼、小焼の、
山の空、 あかとんぼ あかとんぼ、
負はれて見たのは、 負はれて見たのは 負はれて見たのは、
まぼろしか。 いつの日か。 いつの日か。
山の畑の、 山の畑の 山の畑の、
桑の実を、 桑の実を 桑の実を、
小籠に摘んだは、 小籠に摘んだは 小籠に、つんだは、
いつの日か。 まぼろしか。 まぼろしか。
十五で、ねえやは 十五で姐やは 十五で、ねえやは、
嫁に行き、 嫁に行き 嫁にゆき、
お里のたよりも、 お里のたよりも お里の、たよりも、
絶えはてた。 絶えはてた。 たえはてた。
夕やけ、こや 夕やけ、小やけの 夕やけ、小やけの、
赤とんぼ、 赤とんぼ 赤とんぼ、
とまってゐるよ、 とまってゐるよ とまってゐるよ、
竿の先。 竿の先。 竿の先。
(1)児童誌『樫の実』大正10年8月号に発表。
(2)童謡集『真珠島』(大正10年11月刊行)に収録
(3)童謡集『小鳥の友』(大正15年11月刊行)に収録
【解説】
@ 「赤蜻蛉」は、「大正10年7月」の「或日午後4時ころ」、「窓の外を見て」作ったものである。所は函館トラピスト修道院の宿舎である。
A 題の表記が(3)では「赤とんぼ」に変改。同様に「摘んだは」が「つんだは」、「姐や」が「ねえや」、「行き」が「ゆき」、「絶えはてた」が「たえはてた」とひらがな書きに変改。この点に関しては「赤とんぼに就て」(昭和34年5月25日の日記)で、「発表したその初めは、赤蜻蛉と漢字で記したが、後に、分かり易いために、赤とんぼとしたのである」と述べている。他の語句の変改もその趣旨にしたがったのだろうが、「嫁」「竿」は、漢字の持つ意味性を優先して改めなかったのだろう。
B 「アカトンボ」の表記の不統一が著しいのは(2)で、「赤蜻蛉」、「あかとんぼ」「赤とんぼ」と三様に書き分けられている。この点については、時間差表現を意図したという説がある。つまり、題は現在、第一連は幼時、第4蓮は少年時の内容に表記を一致させているという解釈である。あなたはどう考えますか。
C (1)の「山の空」が(2)(3)では、「あかとんぼ」に変えられている。そのため山の空を見るという広がりが詩の情景からなくなって、庭先に局限された。また、夕焼空から夕焼赤とんぼへという不自然さが生じた。これを論理化するためには「の」に「夕焼空のもとの赤とんぼ」という含意を持たせなくてはならない。しかし、全体の構成という観点からは、結句との緊密性が強化された。
D 「まぼろしか」と「いつの日か」が入れ替わった。この点に関しては、第4連ができていたから、推敲のときにそれとの関係から「いつの日か」としたのであろうという説がある。音韻的には「ヤマ」、「マボ」から「アカ」、「イツ」への変化といえる。マ行からア行は、清澄な詩情をかもしだしていて、推敲は大成功だった。内容的にも「夢のよう」よりも「いつだったかなー」の方が、第1連の回想に現実味が増す。わずか2ヶ月でこの推敲をなしとげたのは、まさに「神業」といえよう。
3. 『赤とんぼ』史
西暦 年号 月日 事項
1921 大正10 「赤蜻蛉」発表『樫の実』8月号
1921 大正10 12月 「赤蜻蛉」『真珠島』に収録
1926 大正15 10月 「赤とんぼ」『小鳥の友』に収録
1927 昭和2 1月 山田耕筰作曲
1927 昭和2 7月 『山田耕筰童謡百曲集』第2集に収録
1931 昭和6 少年歌手金子一雄録音
1937 昭和12 "「『赤とんぼ』の思ひ出」を掲載(『日本童謡全 集1』 (日本蓄音器商会刊)"
1947 昭和22 国定教科書『5年生の音楽』に採用される
1953 昭和28 検定教科書に順次採用される
1953 昭和28 10月11日 「あかトンボ」(小学生朝日新聞)訪問記事掲載
1955 昭和30 2月 映画『ここに泉あり』で歌われる
1955 昭和30 9月 砂川基地反対闘争のさなか、合唱される
1959 昭和34 3月30日 米国コロンビア社から使用交渉を受ける(日記)
1959 昭和34 5月25日 「『赤とんぼ』に就て」日記に記す
1959 昭和34 7月 「赤とんぼのこと」を掲載(森林商報 新69号)
1961 昭和36 6月 音楽映画『夕やけ小やけの赤とんぼ』で大合唱される
1962 昭和37 3月6日 ロシア合唱団が船中で合唱という記事(日記)
1965 昭和40 5月28日 赤とんぼ歌曲碑建立(龍野公園)
1989 平成元 10月16日 "「日本のうた ふるさとのうた」(NHKなど主催) 応募 で1位となる"
1989 平成元 10月29日 「天声人語」(朝日新聞)で話題にする
4 ふるさとの
ふるさとの
小野の木立に
笛の音の
うるむ月夜や。
少女子は
熱きこころに
そをば聞き
涙ながしき。
十年経ぬ
おなじ心に
君泣くや
母となりても。
少年のころ恋心を抱いた少女を追憶して、今でも笛の音に涙を流した純情さを失わずにいてほしいと願っています。
この少女は実在の女性であったらしい。初期詩歌集『低唱』『夏姫』には、多くの恋歌が収められています。そこで歌われた恋愛の相手の一人でしょう。年月が流れても、相変わらず相手を思いやる作者の清純な心が簡潔な言葉の奥に強く感じられます。
明治40年の作で、「二十歳までの抒情詩」(『廃園』所収)を代表する詩です。
昭和15年、故郷の龍野に作者自筆の詩碑が建立されまし た。
多くの作曲家の作品がありますが、今日広く愛唱されている曲は、露風が主宰した「未来社」の同人でもあった斉藤佳三が作曲した「ふるさとの」です。
5. 晴れ間
八月の
山の昼
明るみに
雨そそぎ
遠雷の
音を聞く。
雨の音
雷の音
うちまぢり
草は鳴る
八月の
山の昼。
をりからに
空青み
日は照りぬ──
静かなる
色を見よ
山の昼。
短い時間の推移の中の自然の変化を、修飾語を用いずに叙事に徹して詠っています。5音のみの切り詰めた韻律が効果的です。作者の情調は、ただ一点、「日は照りぬ──」の「──」に込められて、おどろしい山の雷雨のすさまじさからふと我に返った安堵感と、洗われたように鮮やかな自然の情景とが一体となって、詩的統一が図られています。
「古池や蛙飛び込む水の音」という芭蕉の有名な俳句がありますが、「晴れ間」ももとの静かさに戻った自然の以前よりも深まった静かさに感覚を集約している点で、同様の境地を描いています。伝統的な美の世界に心惹かれる露風の詩心を示すいい例です。
小学校の国語教科書にも採用されているので、覚えている人もいるでしょう。
明治40年の作で「二十歳までの抒情詩」(『廃園』)に 収録されています。
6. 牛
牛はあゆむ
日の落つる下り坂を、
あかきころもの霞被て
額のあたり耀よひつ。
拡ごる風の、吹き入りて
痕とどめたる雲の色、
薫り豊かにそことなし
日も穏どかの下り坂。
首突きいだしおし黙り
目は一心に泛べたる
何か床しき蓮華さう、
それと知らるるくだり坂。
あゆみの練りや、角光る
疲れごころの砂ぼこり
さみしき雲も一入に
しみて耀やくくだり坂。
夕日を真っ向から受けて悠然と坂を下ってくる牛を詠っています。新婚当時過した池袋近郊の春の田園風景の一こまですが、夕日を一身に浴び、額を輝かせ、角を光らせ、目には蓮華草のような親しみを浮かべ、夕日を一身に浴びて黙然と歩み来るこの巨大な生き物から受ける印象は、単なる実景ではありません。
作者は「この巨獣に、或る超人間的なもの、崇高なるもの、非凡なるものの啓示を」感じて、この詩を作ったと西条八十は説明していますが、まさにそうした霊的な神秘性がこの詩にはあふれています。
このころ露風が親しく交わった画家で、『幻の田園』の装丁・挿絵を手がけた坂本繁二郎の有名な牛の絵の持つ精神性と共通した世界がこの詩にも濃厚です。(『幻の田園』所収)
7. 白き手の猟人
太陽は、かがやく絹につつまれ
終のほほゑみは白く熱したり。
そは我らの上、
草木と恋との上に。
身は深き憂の中につつまれて
すすり泣く風景の、
光の陰をさまよひたり。
ああ君が白き手の猟人よ、
君が手は何か探りし。
優しき胸のみだれたる草叢に、
黄金なす草叢に。
君が手はかくも告げなん、
『百合がつくりし塒の中
宝石の胸やぶれて
傷きし小鳥はそこに死したり』と。
かくて今、太陽は終りに呼吸す。
われらが野よりの小径に、
日は美はしき霊魂の如くにまた。
この詩の主題は、「胸やぶれて傷きし小鳥はそこに死したり」という一句に集約されています。小鳥は愛や夢や希望の象徴として、露風の詩にしばしば登場します。この詩でも死んでしまった小鳥は、絶望に陥った作者の欝憂な気分を表象しています。しかもこの場合は、小鳥の死は太陽の白光や草叢の黄金や百合の花や宝石に荘厳されていて、神秘的に儀式化されていて、滅びの美学さえ読み取れます。
この詩には大変手の込んだ手法が用いられています。野道を散歩している恋人(白き手の猟人)に、自分のそうした絶望的な状況を探らせるという設定そのものもそうですが、表現面でも擬人法、直喩法、暗喩法、倒置法など多彩な修辞法が駆使されています。
詩集『白き手の猟人』に収められていますが、露風の詩風を知る上で重要な詩の一つです。
8. 雲雀
雲雀はあがる、やはらかに
森も畑も煙る中
緑したしき声と声
揺らるる空に落ちてゆく
晩春の日の静けさよ
雲雀はあがる、さみしらに。
夏も間近い晩春の夕暮でしょうか、武蔵野の林を背景に、麦畑が青々と広がっています。靄でおぼろな上空にはひばりたちが親しげに鳴き交わしています。
やはり雲雀を詠った「恋の囀り」(『白き手の猟人』所収)という詩の情景を思い出させます。天空高く上昇する雲雀と下降するその鳴き声。そのにぎやかなさえずりが途絶えると、森閑とした世界に戻ります。
行く春の憂愁と寂寥感がひしひしと迫ってくるような詩です。「視覚的にも聴覚的にも、うっとりと夢うつつの中で雲雀の声を聞き、その影を見ている如きやや夢幻的な色彩があり、単なる田園詩とは異なる趣を持っています」と吉田精一は述べていますが、作者は天空の声を神の声のように聞いているのかもしれません。(『幻の田園』所収)
9. 緑の森
日盛りの
音なき森よ
葉は鎧ひ、蔭をなす
何者の悩みごころぞ。
風吹かず
訪ふ者あらず
幻像の人の如くに
緑葉の身を隆む。
ああ、汝よ、森よ
何を観る
青緑の髪のかかりに
深く澄む厭離のまなこ。
悩みあり、されどその眼光
平らかに物を映す。
悲愁あり、されどその心
古銅の翼の如く張る。
円き空、いよいよ青く
木はいみじき汗を流す
ああ生葉に四肢をよろひて
夢を食む緑の森。
「神を求めて苦難の道を歩む者、神の声をほのかに大自然の中に聞き取った者、それらが詩中に力強い声で自己の信念を語っている。しかし、すべてそれは象徴的な世界像となって詩化されている。」岡崎義恵が詩集『蘆間の幻影』の傾向について論じたこの一文は、そのままこの詩の解説にしてもいいようです。緑に覆われた森の姿は、まるごと作者の生きる姿勢を象徴しています。いいかえれば、緑の森に託して自己の信念を語っているようです。
厭離、孤高な境地にあって、作者は苦悩や悲愁を内に抱きながらも、神の導きを頼りに誇り高く生きようと願っているのです。この詩には良くも悪くも崇高な悲壮美さえ漂っています。
10. 白月
照る月のかげ満ちて
雁がねの棹も見えずよ
我思ふ果ても知らずよ
ただ白し秋の月夜は。
ふくかぜの音冴えて
秋草の虫がすだくぞ
何やらん心も泣くぞ
なき明かせ、秋の月夜は。
『婦人の友』大正10年9月号に掲載。のちに詩集『青き樹かげ』(大正11年7月刊行)に収録。題名の読みは「しろつき」か「はくげつ」か「びゃくげつ」か。小学館大辞典には「しろつき」はなく「はくげつ」「びゃくげつ」がある。
意味は白く輝く月、明月。漢和辞典には「びゃくげつ」。白く輝く月、満月。
初出、詩集については未調査。露風の全集本では、ルビなし。『日本抒情歌全集』(ドレミ楽譜出版社A)には「しろつき」のルビあり。
私見を述べれば、歌曲の題としては「しろつき」が叙情性が感じられてふさわしいと思う。しかし、詩として読む場合は、漢詩や和歌の詞書との関連性から「はくげつ」がふさわしいように思う。
(解釈)
「月のかげ」月の光。「満ちて」満月になって、「雁がね」雁のこと、「棹」ひとつらなりになって飛んでいく雁の様子。「見えずよ」「知らずよ」いずれも文法的には「見えぬよ」「知らぬよ」となるべきところ。否定の意味を強めるために「ぬ」という連体形ではなく「ず」という強い音の終止形をわざと使ったか。「我」わが、「思ふ果も知らず」あれやこれや思い迷って、落ち着く場所もない。きりもなく思い乱れる。露風の好きな歌に西行『山家集』の「ともすれば月澄む空にあくがるる心のはてを知るよしもがな」というのがある。これは「恋」の部に入っているので、「心のはて」は恋しく思う女性(あなた)をさすが、露風は「自然、宇宙の神秘へのあこがれ」と捉えている。参考までに「ながめやる心のはてぞなかりける明石のおきにすめるつきかげ」(千載集291番 俊恵)を掲げる。こちらのほうが露風の心境に近い。「名月や池をめぐりて夜もすがら」という芭蕉の句にも通じる「永遠なるものへの憧憬」が読まれている。そういう意味で「伝統的な詩興」といえるかもしれない。「冴えて」冴えているのはもちろん秋風だけではなく、虫の声を含む森羅万象である。「すだく」鳴く。「心も泣く」悲哀のためとはいいきれない。強く心を打たれての感涙と広く解釈すべきか。
山本健二が歌っている。