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2. 三鷹市のイベントについての検索は、三鷹市→文化財団。三鷹市の文学散歩については、三鷹 市→訪問者向け→文学散歩。
4 .露風散歩道案内
吉祥寺駅から井の頭公園への道を辿ります。池をめぐるように弁天様まで歩いたら、玉川上水沿いの散歩道を歩きましょう。水底までは意外に深く、増水していたら太宰のようになってしまいます。
幸橋の左を少し進んだ左側に武者小路実篤が1937年から1940年まで住んだ家がある。彼の娘はここから明星学園に通った。
新橋を渡ってすぐの明星学園の東側の道を歩いて四つ角まで行く。そこを右折すると高い松が眼に入る。露風の旧居である。露風の奥さんが板橋家の縁者で、昭和3年に土地を譲ってもらい新築した。そのころはあたり一面田んぼや畑であった。露風の家の前には用水が流れていた。
白秋の息子の隆太郎は、明星学園に通っていたので、この畑中の一軒家はよく覚えている。
蓮雀通りの山中前に出たら左折しよう。高山小学校は露風が校歌を作った学校。何かと縁が深い。板橋家は現在、(株)赤とんぼを経営している。広い敷地は現在、ドラッグストアなどになっている。その一隅に「喫茶・軽食 赤とんぼ」がある。ちょうどのどが渇いておなかが空いたころだ。一休み。
板橋家は土地の名家で、篤農家であった。神明神社の巳待講の石塔の寄進者にも名があり、整備にも尽力している。家の前には露風がよく散歩していた昭和30年代頃は、キャベツなどの野菜が栽培され、秋には黄金色に稲穂が揺れていた。今は住宅地になったけれど、風景をバックさせて自分を畑中の道を歩く姿に変身してみよう。人見街道に近づくと商店が並び、火の見櫓のある辻は間近。辻を突き抜けると大盛寺別院。しかし、露風の墓はその先の右手にある新墓地。なお、大盛寺は、井の頭公園にある、間違えないように。
露風がよく使った郵便局が近くにある。このあたりは露風の生活の用事をかねた散歩のルート。四つ角を右折して役場に行ったり、左折して三鷹台駅に行ったりした。未舗装の道で雨の日はぬかるんで大変だった。
神明神社にお参りしたら、玉川上水の散歩道をゆっくり散歩して、元に戻ろう。2時間くらいの行程だ。
なお、『山本有三と三鷹の家と郊外生活』(はる書房刊 700円+税)では、有三以外に実篤、雨情、夢二、露風、中也、太宰、などの郊外生活を掲載している。一読してから散歩に出かけると、一層興味がわくだろう。