数珠(珠数)は念珠とも言い、仏教の法具として、およそ2500年前から世界各地に普及し、仏前で合掌礼拝するときに必ず手に掛ける事によって、心が静まりひきしまります。
起源はお釈迦様の御在世の時、難陀国(なんだこく)の毘琉璃王(びるりおう)が、使者をもってお釈迦様に申し上げました。
「我が国は、常に戦乱があり、五穀実らず、悪病流行して国を治める事が困難で困り果てています。どうすればよろしいでしょうか。」とたずねました。
すると、お釈迦様は「無患子(むくろじ)の実、百八を糸でつないで連珠を作り、それをいつも身体からはなさず、隙あるごとに心から仏を念じ、一つずつ、つまぐればおのずから心が静まり、煩いをのぞき、正しきに向かい、間違いのない政治を行う事が出来る。」とおおせになりました。これを聞かれた大様は大変喜ばれ、早速それを実行に移され、心から毎日仏を念じ、連珠をつまぐられたところ後に国は治まり、五穀は豊穣し、悪病も退散して国王を始め人々が幸せになりました。この連珠が数珠の始まりといわれています。
珠の数を百八としたのは、我々の心は百八にも動き変わり、乱れると云う事からで、これを俗に百八煩悩といっています。この乱れ易い心を仏のみ教により、数珠をつまぐる事で救われるのです。
珠の中をつらぬいている糸はちょうど仏の心を我々の心の中に通しているわけであって、それを円く輪にしてあるのは、心が円く素直になる事を意味しているのです。現在私たちが使っている数珠は、このように百八ケの珠を基本としていますが、片手数珠はお釈迦様の晩年、高弟達が各地に布教に出向の際「生きて再び師僧の御目に懸る事も叶うまじ、是非形見に何か」と強いて乞われたので、日常お釈迦様愛用の菩提樹の数珠を高弟に分け与えられ作られたと言われており、持ちやすくする為に半分の五十四ケ玉に、また四半分の二十七ケ玉、百八にちなんで十八玉等と色々な形式にもなっています。
只今では潜在能力を高める水晶をはじめ多くの材質が用いられて、珠の数も百八の形式にとらわれずに色々な個数のものが用いられています。
古来幾多の人々が法具として、また守り本尊として数珠を大切にするのは、その珠の一個一個に御仏の尊霊を念じて煩悩の退散、災難の防止、健康と平和、幸福と繁栄の無限に増大する法悦に浴するが為であります。慌しい現代に生きる私たちは、この数珠を「心のアクセサリー」として大事にしたいものです。